昭和56年12月28日 朝の御理解
御理解第58節 「人が盗人ぢゃと言うても乞食ぢゃと言うても腹を立ててはならぬ盗人をして居らねばよし乞食ぢゃと言うても貰いに行かねば乞食ではなし神がよく見ておるシツカリ信心の帯をせよ」
人が泥棒ぢゃと言うても乞食ぢゃと言うても腹を立てなとね。その為には私共が本当な事を分かり本当な事を日々行のうていっておりませんと、やはり腹が立ちます。
腹が立ったんではおかげにならぬ。そこに教祖はしっかり信心の帯をせよと仰っしゃとられる。しっかり信心の帯をさして頂くと腹を立てる所か相手を祈らずにおられない、また自分自身としても反省させてもらう所があったり、分からせてもらう所があったりするもんですね。
ですから、いよいよ言うなら本当な事が分かり本当な事を行じていけれる生活、しかも神が見ておると仰っしゃるから神様が御照覧の中にある私、神様が見通して聞き通しての中にある私。だから心嬉しう一切の事が受けていかれるのです。
昨日西日本の新聞に大きく広告が出ていました。なんかサントリ-のウイスキ-かなんかの外人の方だそうですが。キリスト教の宣教師で日本に見えて、それからお茶に取り付かれてお茶の先生までなさるようになって、その方がこうお茶をなさっておられる。なんか大きな写真が出てました。
そしてそれにいわゆるお茶の精神でしょうか。こんな事が書いてあった。「一瞬一瞬をパ-フェクトに生きたい」と一瞬一瞬をパ-フェクトに生きたい。何かこれはパ-フェクトという事が素晴らしい言葉だろうと思いましたから、竹内先生に聞きました。そしたらパ-フェクトとはいわゆる完璧にという意味だそうですね。
どうでしょうか、完璧に一瞬一瞬を生きていけれる手立てがあるでしょうか。
成程お茶ならお茶の精神があります。成程お茶の稽古される方が言われますのに、それこそ一点前まちがっても落としても先には進まれん事出けとる。それがお茶の手前、またはそう言う事を一瞬一瞬間違いなくきちっとふんなら、お茶をしておるだけでは、それが出けたにいたしましても、それが生活に帰った時に果たして出けるか。そのほんなら精神とは何ぞやと言う事になるんです。
どう言う事をもって一瞬一瞬をパ-フェクトに生きていくと言う事は、どう言う事なのかね。誰でもそんな風に言うたり思うたりする人はいっぱいあるようですね。本当に一瞬一瞬を間違いのない。言うならばそう言う生き方をしたいと願ってまあそれこそ何と申しましょうか。清貧に甘んじながら一生を終わったと言ったような人達も沢山ありますね。
成程、人が見たらそれこそきちっとした義理人情に厚い生き方をした人達をまあ言うのでしょうけれども。私は思うのにはね、神が見ておる。神様がご承知、神様が御照覧の中にあって、だから例え泥棒ぢゃと言われても乞食ぢゃと言われても腹を立てるどころか、御礼を申し上げるような心。ここには、信心の帯をする事によって、そこに信心の徳がつきおかげがこれに伴うてくると言う所にです。信心の値打ちがあると思うんですよね。
信心を抜きにして、いかに自分よがりです。自分よがりに一瞬一瞬を自分はまあきちっとした生活をしてるんだと言うとこには、おかげは伴わないです。成程、人徳はつくかも知れませんね。人間は人徳では幸福にはなれないです。やはり神徳を受けて初めて神様の言うならば人間の幸福の条件の全てが足ろうていって、初めて人間の幸福と言う事が言えるのです。
私、これを昨日竹内先生から聞かせて頂いて、ははあ完璧にいけるち、こりゃあなかなか誰でも一瞬一瞬を本当に間違いない生き方をせんならんとまあ、真面目な方と言うでしょうかね。まあそんな人がありますよね。言うなら硬い人とでも申しましょうかね。真面目な人とでも言いましょうかね。
けどもそれもいけないわけではないのですけれどもね。ふなお茶の精神を生活の上にもそれを表していくと言う事は出来ますけれども、またいいでしょうけれども。自分だけは何かいいでしょうけれども、それではね。おかげは伴わないと。人間の幸福の足ろうてくるようなおかげにはならない。これは信心をさせて頂く者だけにしか許されない。真の信心をさせて頂く者だけにしか許されないね。 信心をしておって言うならば間違いのない、間違いのない生き方をしておっておかげが伴わないなら、その一瞬一瞬の思い方、内容が間違ってるんだと言うふうに言うて言い訳です。私はこの事をね、その一瞬一瞬をパ-フェクトに生きたいと言う願い。ならどう言う心がけになったら出けるだろうか。
今言うようにお茶の精神だけではいけない事ある。したら神様から『合楽理念に基づくことだ』と頂いた。それをもっと言うと合楽で言われる、いよいよ成行きを尊び、成行きを大切にすると言う生き方なんだ。私はこれを頂いてからははあこれが一瞬一瞬をパ-フェクトに生きる事だと私は思いまして確信が出けたね。
どんなに馬鹿と言われてもアホと言われてもです。有難く受けていく、黙って受けていくと言う、合楽理念の中にあるでしょう、黙って受けていくとね。例えそれが乞食だと言われても泥棒だと言われてもです。それを成行きとしてむしろ尊んで頂くような生き方こそ、言うならばこう言う生き方を身に付けて、合楽理念に基づく生き方をさして頂くと言う事が一瞬一瞬を真実しかもおかげの伴う。 人間の幸福の条件が足ろうてくるほどしのおかげが伴うパ-フェクトな生き方だと言う事になるのです。だから皆さんも私合楽で有難いと思うのは、色々なそのもう本当に絶対間違いのないと言う教えを受けられる事だと思うですね。
例えば一瞬一瞬を何事にも信心になれと仰っしゃるから何事にも信心になる事だと自分は信心になっとるつもりであってもです。どこかぬけとるです。けどもほんなら合楽理念に基づくとそれがぴちっと出けてくるわけです。実に正確に出来てくるわけです。はあ、ここは黙って受けるんだと。これはむしろ成行きを尊び大切にしていくんだと言うような生き方がもう身につく限り、いわゆる私はお徳を受けるはずだ。パ-フェクトな生き方とはこれなんだと。
これをほんならまあ世の多くの人の中にね。一瞬一瞬をそう言うようなきちっとした生き方がいうならパ-フェクトに生きたいと言ったような人達も沢山あろうけれども、悲しい事には信心がない。合楽理念には縁がない人はそれを分かる事が出来ない。又ほんなら縁があって分からして頂いても、それをならパ-フェクトに生きようという願いをもたなかったら、いうなら合楽理念をほこにしてしまう事になるわけです。
もう本当にこういう心掛け、パ-フェクトに合楽で言うパ-フェクトな生き方にならせて頂いたら、もう本当におかげのなら集まってくるんです。災難がかかってきよっても災難の方から避けていくです。そういうおかげの頂けれるのが、しっかり信心の帯をせよとこう仰っしゃっとる、そこでしょうね。
だからどう言う風に信心の帯をしっかりするかとハア毎朝毎日参りよります。ハア水をかぶりよります、断食して拝みよりますと言ったような事ではない事が分かりますね。けれども多くの人はです。そう言う事がしっかり信心の帯をする事のように思っとる人があります。
それこそ合楽理念によるパ-フェクトな生き方と言うものは、人間が人間らしう生きながらね。それこそ嬉しう楽しう有り難う生きていけれる手立てなんです。私は今日ある事で人間が人間らしう生きると言う生き方の中に成程こう言う生き方、こう言う清濁一如と言ったような言葉を合楽では使われるが、合楽で言う清濁一如とはこう言う事だ、なんだなと言う事をまあ色々深く分からせて頂いたが、まあこれはちょっと話が長うなりますからね。
もう本当に合楽理念に基づく生き方と言うのは素晴らしいです。難しい事がないです。パ-フェクトととても、しかも一瞬一瞬を一瞬一瞬をと言うて寝てはならないか、食べちゃならんかと言う事ぢゃないです。
もうそれこそ一瞬一瞬はね。パ-フェクトに生きると言う合楽理念に基づく、しかも神様が御照覧の世界であって心嬉しう、それを受けていけれる生き方。そこには人間の幸福の条件が足ろうてくると言うほどしのおかげが、言うならばおまけのようにしてついてくるのが合楽理念です。だからどうでもね。結局合楽理念の実験を実証をさして頂く事に喜びを感じる、例えそれが泥棒と言われても乞食ぢゃと言われても、もう腹ん立つだんぢゃなかですね。嬉しうなるです。有難うなるですね。
昨日ある教会の先生が年末の御礼参拝をして見えて、色々ここでお届けをされますけど、私が耳が遠いのでよく聞こえません。それでしたからでしょうか。竹内先生に色々とお話をして帰られたと。 先だって、ある偉い先生が沢山集まる会合に出らせて頂かれた。そしたら、それこそもういつもですけれども、必ずと言うてよいほど合楽の悪口が出ますと、こう言うしかも、もうそれこそ皆で悪口を言い出した。それでまあ実は私は合楽にお話頂きに行っとりますがと言うて話した。
合楽の先生はもう絶対あなた方が言うておるような事ぢゃないです。もう只今まで私はかって頂いた事も、聞いた事もないほどしに教祖の御教えを深く広く教えて、兎に角人が助かりさえすればと言う精神であのあちらの御比礼は輝いているのです。そう言う悪口を言う人達が、私はむしろ姿勢を変えなければいけんのぢゃないでしょうかと言うたと言うのです。
そしたら期せずしてそこの一番偉い先生がバァッと拍手せらっしゃったね。心のどこかに分かってるんです。悪口だんぢゃなかて、あれだけ人が助かってるぢゃないかと、そこには助かる元が確かにある。悪口を言うぢゃなくて、むしろ悪口を言うておる者自体がね姿勢を変えなければいけないと言うような事でしたと言う話を先生がここでするんですよ。竹内先生がそれでハハア私が昨日頂いとるお夢はこげなこっぢゃったじゃろのうち言うた事ぢゃった。
覚えとられるでしょうね。私を何々山の頂上で襲おうとしておる白装束の一団があるから用心なさいとこう言うてくれたと言うね。黒装束と言うのより白装束と言う所に私は意味があるよと言うて言うとったが、そう言う事ぢゃないでしょうかね。と言うようにならこちらがいよいよ合楽理念に基づく言うならば人が何と言っても神様が御照覧の世界に生きているんだと、それこそ今日の言葉で言うならば一瞬一瞬パ-フェクトに生きてるんだと確信があるところには、そうしたおかげが集まってくるだけでなくて、そう言う災難が寄って来よる。
それこそ白装束の一団が私を襲おうとしておっても、それをはずしていく働きと言うものが起こっておるでしょうがね。皆さんいよいよ本当にね。まずはやっぱり本当に折角信心させてもらうのだから一瞬一瞬を御気感に叶う生き方に生きていきたい。パ-フェクトに生きたいと言う願いをまず立てな駄目です。
そしてあれこれやない。合楽理念に基づけば絶対完璧にここを通っていけれるんです。ほんなら完璧に一瞬一瞬をそんなにそのパ-フェクトに生きると言う事は難しいか事かと言う事ではない。そうではない。人間が人間らしゅう生きながらその一瞬一瞬を大切に出来る手立てが合楽理念に説いてあるのですね。
成程一瞬一瞬をパ-フェクトに生きると言う事は、成程合楽理念をもってする他はないと言う事にもなりますけれども、いよいよふんなら成行きを尊ぶ成行きを大切にすると言う生き方こそ成程パ-フェクトとはこれなんだと合点が皆さんいくでしょうが。
皆さん合点がいったらそれを本気で実行の上に表わさなきゃ駄目だと言う事なんです。「どうぞ」